2008年09月04日
北京五輪の期間中、北京市内は大いに盛り上がった。だが、間違いなく今回の五輪は「市民不在」の大会だった。大会○○日前といったカウントダウンやマスコット、公式ソングの発表など、ここ2年あまりの間に様々なイベントが行われたが、いずれも出席者は「同じ人ばかり」。そしてその周囲をものものしい武装警官が取り囲み、その様子を少しでも目にしようと、押しかける市民がいる。だが、彼らには「意地悪なくらい」に中の様子を見せようとせず、高くて厚い衝立が置かれる・・・そんな風景を何度も目にした。
その「市民不在」ぶりが、より顕著に現れたのが、五輪開幕直前、北京市内で行われた聖火リレーだった。
8月6日、北京市内は中国国旗と五輪のミニ旗の大群に埋まり、「ジアヨウ(がんばれ)中国!」の太い歓声に包まれた。
3月31日に北京入りしたあと、世界19カ国を回り、5月初めからは全国100都市以上を巡った北京五輪の聖火は6日、北京でのリレーを行った。沿道には数多くの市民がつめかけ、大歓声でランナー400人あまりを迎えた。
この風景、一見すれば五輪を前にした市民の盛り上がりは最高潮、のようにも見えた。だが現場で見ている私には、相変わらずの「市民不在の五輪」という側面が垣間見えた聖火リレーとなった。まずは、その様子を簡単に振り返ってみたい。
聖火は北京の中心にある故宮(紫禁城)を朝8時にスタート。ぽつぽつと小雨が降る中、すでに朝5時から1000人以上の市民がつめかけ、ミニ「五星紅旗」を振りながら、スタートを待っていた。市内の大学生、趙君は昨夜11時に一番乗りしたのだとか。「昨日は眠れなかった」と興奮気味に語る。「他の都市での盛り上がりをテレビで見て、北京もぜひ盛り上げたいと思った」というのが参加の動機だそうだ。
そして7時ごろから、市民たちが掛け声の練習を始めた。「加油(がんばれ)、中国」、「中国万歳」などをリーダーを中心に練習し、それが徐々にそろってくる。
午前8時に式典がスタート。そして8時5分からリレーが始まった。第1走者は中国人初の宇宙飛行士、楊利偉さんで、故宮南側の「午門」を出発した。そして現場が大いに盛り上がったのは米プロバスケットボールNBAで活躍する国民的スターの姚明が第9走者として聖火を受け取ったとき。トーチを掲げる229センチの“アジアの巨人”を無数のメディアが囲み、現場は一時、騒然とした。
さて、この場にいた誰もが気づくのが、現場にやってきた市民全員が何らかの組織に所属している人たちであること。つまり日本で言う「動員」である。揃いのTシャツ、帽子、そして企業や組織の名前とスローガンが書かれた横断幕・・・。掛け声の練習もかなり統率が取れているのだが、彼らがおなじ組織ということならば当然のことだ。
実は、天安門広場周辺の一般市民の立ち入りは全く禁じられ、広場南側にある地下鉄「前門駅」は朝から臨時封鎖された。広場に集まったのは全て、企業、学校などの団体、団地ごとに組織された人々。そして広場前の大通りの両端には、警備スタッフが配置され、聖火の様子を一目見ようとやってきた一般市民はそこに足止めされることになった。
この「限られた市民」による熱烈歓迎は、その後、北京の西側、南側への移っていった聖火リレーでも同様だった。
昼3時ごろには、北京南側の豊台区をリレー。周辺の道路は完全封鎖され、2時間前から、続々と大型バスが“現地”に乗り入れてくる。広めの道路数百m分を駐車場に使い、バスからは揃いの帽子、シャツに身を固めた“一般市民”が次々と降りてくる。
彼らの向かうのは指定された応援場所。コースは細かく区分けされ、そこには「A8-10」のように番号が振ってある。各組織にはあらかじめ場所が割り当てされてあり、リーダーが引率して、そこに連れて行く。周囲は警戒線で囲まれ、予め配られているシールを胸に貼っている“市民”だけが聖火リレーのコースに入れるのだ。彼らは指定された場所で、旗を振り、声を限りに応援する。一方、“指定された組織”に所属していない大部分の市民は、華やかなリレーの様子がほとんど見えない場所で、遠巻きに立っているしかない。
報道によると、8月6日には国家体育場(愛称:鳥の巣)付近で英国人が政治的スローガンを掲げ、警察に拘束されたという。これらの厳重な警備は、聖火リレーの場を利用した何らかの「政治行動」を当局が恐れてのことであることは間違いない。
だが、それともに、残念ながら中国は、「一般市民」を信用していない。国が市民を信用していない・・・という事実は非常に残念だが、ここで生活していて、常に感じることでもある。
テレビ画面では多くの市民が映って、聖火リレーの「盛り上がり」を演出していたが、それはあくまで中国側の選んだ「お行儀の良い市民」だけだった、というわけだ。
posted by asa8043 |22:33 |
北京五輪 |
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2008年09月01日
以前、シンクロナイズドスイミングの中国代表ヘッドコーチ、井村雅代さんと北京市内の景山公園にご一緒したことがある。五輪まで、まだまだ時間があるころだったので、「最後のほっと一息」だったのだろう。非常にリラックスした表情で観光をしてらっしゃった。
景山公園は、あの「ラストエンペラー」の紫禁城を上から見下ろすことができる。井村さんは、北京ならではの、きっちりと左右に対称に立ち並んでいる建物群を見て、その「センターライン上」に立ちながら、「私は真ん中が好き。ぴしっと揃っていないと腹が立つのよ」と笑っておられた。そのとき、私は「この方は根っからのシンクロ人間だなあ」と思った。
今回の北京五輪で印象に残ったスポーツシーンはいくつかあるが、シンクロは確実にその一つだ。ただ、あの中国が銅メダルを取ったチームのフリールーチンは、別会場にちょうど移動中だったため、残念ながら、生で見ることができなかった。私はそれでも、何とか試合を見たいと、最寄の地下鉄駅でタクシーを降ろしてもらった。北京の地下鉄では大会期間中、ずっと街頭テレビが各所に置かれ、大会の様子を見ることができたのだ。
ちょうど中国代表の演技が始まっていた。長い足が見事に生えるスピン、天性の体が作り出す迫力はテレビでも伝わってきた。音声は聞こえないが、映像から、会場中が声援で後押ししていることは分かる。演技が終わって、井村コーチの姿が画面に映った。本当に優しい笑顔を浮かべながら、選手一人ひとりを抱きしめておられた。
結果は銅メダル。日本が初めてメダルを逃したこともあり、「中国が日本を押しのけてメダル」などという見方をする人もいる。
だが中国代表のコーチであるからには、もちろん日本にも負けたくないだろうが、ロシアにもスペインにも負けたくないのが当たり前だ。中国チームの全ての才能を引き出して、最高の成績に引き上げるのが彼女の仕事であり、「日中で火花」「裏切り行為」などと、ことさらに強調する一部の人は、何ともスケールが小さいものだと感じる。
試合後の井村さんのコメントを聞いて、「らしい」と感じた。彼女は、泣きじゃくる選手たちを横目に、まったく涙を流さなかったそうだ。そして「今はまだ涙を流すときではない。これは私にとって、驚きでも喜びでもなく、目標だったからだ」と語ったとのこと。
井村さんは中国代表の選手たちに12時間の猛烈なトレーニングを課した。食の細い選手たちに筋肉をつけさせようと無理やり食べさせた。選手たちに「日本流」の“あいさつ”の心を植え付け、スポーツ選手としての精神面を鍛えた。そして、大切な愛弟子を涙を飲んでメンバーから切り、故郷へ帰らせたこともあった。
全ては「メダル」という最高の喜びをもたらすためだった。
そして、それは、中国選手が天性に持つ有り余る才能を引き出し、豊かな身体能力を存分に生かして、最高の「結果」を出すためだった。
井村さんにとって、その対象となる選手は、日本人であろうが、中国人であろうが、また別の国であろうがどうでもいいのだろう。ただシンクロというスポーツを愛し、ひたむきに取り組む人たちであれば・・・。
指導者とはそういうものだろうし、井村さんはまさに、その指導者なのだと思う。そこから生まれた「結果」への反応は“驚き”でもなく、”感動“でもなく、一つの仕事をやり終えた「ほっと一息」なのだろう。
その“仕事”を見とどけた後、私は日本だ、中国だといっていることもばかばかしくなった。日本チームの演技も素晴らしかったが、確かに中国チームは本当に見ごたえある演技だった。良いものは良い・・・素晴らしいものには惜しみなく拍手を送ること・・・それが出来るからスポーツは素晴らしい。その当たり前のことを、国境を越えた挑戦をした井村さんの“仕事”をみて、改めて感じることができた。
31日は9月初めに、大きな任務を終えて、日本に帰国する井村ヘッドコーチを囲む送別会が行われた。私は残念ながら、所用で出席できなかったが、心から「感動をありがとうございました。そしてお疲れ様でした」といいたい。
posted by asa8043 |06:32 |
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2008年08月31日
日本シンクロの“生みの親”で、中国代表のチームを銅メダルに導いた井村雅代さんは、五輪開催前、初めて五輪会場の国家水泳センター(愛称:水立方)に入ったとき、第一印象は「こんなの作っちゃって大丈夫?」だったそうだ。
50メートルプールと飛び込みプールが縦に並ぶ超巨大な競技場。水泡をイメージした直方体の外観は独特で、夜は神秘的なブルーにライトアップされる。確かに素晴らしい競技場だが、触れ込みの『省エネ』タイプとはちょっと違う気がする。この巨大なプールを維持するのにどれだけの費用がかかるのか……井村さんも心配になったと言うわけだ。
オリンピックで使用された競技場を評するスポーツ関係者の言葉は全て同じだ。「素晴らしい」の一言・・・。メインスタジアムの鳥の巣、水立方、国家体育館は言わずもがな。北京北郊外のオリンピック公園に作られたアーチェリー場、ホッケー場など決して大人気とはいえない競技のスタジアムも、出場した選手達の大絶賛を受けた。北京西郊外の巨大規模な射撃館、公園内に作られたビーチバレー場、NBA標準で建てられたというバスケット館、そして北京大学内の世界初の卓球専用体育館。この1年で、北京は世界でも有数のスポーツインフラを持つ都市に成長したといえよう。
だが井村雅代さんが口にしたように、今後、果たしてこの超豪華な競技場群を維持していけるかは大きな問題だ。多目的に使える総合陸上競技場でも難しいが、専用競技場として作られたスタジアムを維持してくだけのビッグ大会がそう頻繁に北京で行われるとは思えない。
中国は五輪閉幕後、早くもサッカーW杯誘致に本格的に取り組むことを公式に宣言した。以前から、「次の次」を狙う旨はスポーツ当局の責任者の口から何度か出ていたが、「祭り」が終わった今、それをいよいよ本格化させるということだろう。
たしかに、国家体育場(鳥の巣)をメインに、北京市内だけで、工人体育場(女子サッカー決勝の会場)、オリンピックセンター体育場(近代五種など)と、それなりのスタジアムが整備された。しかも、上海、天津、瀋陽にも眩いばかりの一流の競技場が作られ、他都市のスポーツインフラに見劣りしなくなった。W杯を誘致するだけの力は、施設面からみれば、十分にあるともいえよう。
だが同時に、「ポスト五輪」の“夢”を語り続けざるをえない状況があるのも事実だ。これだけのスタジアムを維持していくには、国民に目標を与え続け、「次」に目を向けさせざるをえない。一歩間違えれば、巨額の資金をかけたインフラ設備に対し、一般庶民の不満が噴出しかねないのだ。
当局は、今後、これらの施設を市民に開放するとしているが、かなりの運転費用が必要な各競技場がどのような形で活用されるのか・・・一定の方針は出てはいるものの、その実現性はまだ不透明だ。“祭りが去った後”の北京はどうなるのか・・・このツケが五輪を目一杯楽しんだあとの北京市民にドンと押し寄せないことを祈りたい。
posted by asa8043 |00:23 |
北京五輪 |
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2008年08月30日
比較的、冷静に劉翔の棄権を受け入れた一般の市民に対し、最も焦ったのは、劉翔を広告に起用している各企業、そして劉翔の試合を当て込んで競技チケットを購入した人たちだろう。
一説には、劉翔の出場する「予定」だった男子110m障害決勝のチケットは400元の2階席が20倍の8000元(12万円)まで高騰していたということだ。場合によっては、50倍以上に上がっているという話もあったから、その加熱ぶりは相当なものだ。
私が110m障害の2回戦に足を運んだとき、ある老人に出会った。彼は600元(9000円)のチケットを競技場近くにたむろするダフ屋から6000元(80000円)で購入したそうだ。劉翔の棄権を知った瞬間に、急いで売り払おうと、新たな「ダフ屋」を探したものの、いずれもその情報はとっくに察知済み。高くても2000元(30000円)といわれたので、それなら・・・と劉翔のいない鳥の巣にやってきたそうだ。残念そうな表情で、チケットの経緯を語っていたが、それでも、この日は走り高跳びで世界記録が登場するなど、なかなかの見せ場があり、このお年よりも、“それなりに”楽しんだようだ。
また20社あまりに上る劉翔のスポンサー企業は、この予想だにしなかった結果に戸惑いを隠せなかった。牛乳メーカーで、五輪オフィシャルスポンサーでもある「伊利」の広報担当者は「金メダルを取ったときの対応、取れなかったときの対応、いずれも想定していた。だがまさか“棄権”とは・・・」と唇を噛む。ある大手国際企業は、早くも看板のキャラクターを変更するなどの措置をとったとの情報もあるが、今のところ、各社とも「劉翔とは長い付き合い。復活に向けて、応援していく」として、様子見する姿勢を示している。ただ、以前は嫌というほど目にした劉翔のテレビコマーシャルは、五輪後、全く目にしなくなるなど、スポンサーの“劉翔離れ”は着実に進んでいるといえよう。実際、北京五輪では51人の金メダリストが誕生しており、現時点では、「敵前逃亡」した劉翔よりも商品価値が高いともいえ、各社とも見極めムードといったところではないか。
ただ最も最も大きな痛手をうけたのは、やはり中国陸上界だろう。
国家体育総局の責任者は今回の五輪について、「確かに金メダル数1位は大躍進。だが、陸上、水泳など競争の激烈な競技ではまだまだ中国は発展途上国。引き続き努力を続けていかなければならない」と語った。
今回の北京五輪に向け、中国は二つの施策をとった。一つは、アテネで好成績を取ってメダル獲得が有望視される選手の更なる強化。そしてもう一つは、他国が余り力をいれていない、いわゆるマイナー競技の徹底強化である。
後者については、今大会からというわけではなく、かなり以前からのスポーツ施策ではあったのだが、今回は予算投入の度合いも含めて、これが徹底された。結果的に、多くの種目で強化が実り、金メダルを量産できたわけだ。
一方、前者については、「チーム劉翔」まで作って、莫大な予算を投入して臨んだにもかかわらず、周知の結果となってしまった。これだけ110m障害に対する国民の期待が高まったにも関わらず、史東鵬が準決勝敗退するなど、決勝進出はゼロ。しかも、この二人の後を追う若手は登場していない。
これについて、ある体育関係者は「劉翔に頼りすぎた陸上連盟の失態」と断じる。この「チーム劉翔」の結果、本来ならば、アテネ後に次々と劉翔の後を追って、陸上短距離の門を叩く若者が生まれ、裾野が広がっていくはずだったにもかかわらず「ポスト劉翔が全く育っておらず、ヒーローが生まれた意味がなくなった(同関係者)」という結果を生んだのだ。この現象は、陸上だけでなく、他の多くの競技でも見られ、「金メダル獲得」のために、「北京後」をにらんだ育成をしっかりしてこなかった中国スポーツ界は今後、大きなツケをかぶることになるだろう。
中国陸上界は今後、「劉翔に頼らない」選手育成を進めていくことを暗に示している。いわば「劉翔離れ」が五輪後、ようやく始まったというわけだ。劉翔の専属コーチは、すでに110m障害の“秘蔵っ子”(17歳)を見つけており、次のロンドンは無理でも、2016年を目指して、育成を続けている。
経験がモノを言う障害競技だから、劉翔は十分ロンドンも狙えるし、本人も早くも気持ちを切り替えて、4年後に向けてスタートを切っている。だが、「新王者」デイロン・ロブレス(キューバ)の成長振りを見ていると、劉翔の復活は非常に厳しいのが現実。そこにまた、劇的な「劉翔・復活劇」が生まれることは期待してもいいのだが、そんな浪花節のストーリーに一国のスポーツ政策を託すわけには行かないのは当然だ。「ポスト劉翔」が急速に進んでいくのは間違いないだろう。
もし仮に・・・劉翔が金メダルをとっていたら、今頃、「チーム劉翔」は祝杯を挙げ、北京への4年間が全面的に肯定されて終わっていただろう。今回、陸上関係者が深刻に陸上の現状を受け止めていることは、中国陸上、いや中国スポーツ全体が変わる前兆とも受け取れる。
劉翔の棄権は、考えようによっては、中国スポーツを改革する大きなきっかけになるかもしれない・・・とも言えるかもしれない。
posted by 朝倉浩之 |08:10 |
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2008年08月29日
26日、政治の中心地・人民大会堂で、北京五輪に出場した選手、役員らが集まる総括大会が行われた。ここに110m障害の劉翔がアノ事件後、初めて姿を見せ、報道陣の注目を浴びた。鮮やかな紅色のジャケットと黄色シャツに身を固め、コーチとともに会場に現れた劉翔。表情は笑顔を絶やさず、他の選手たちにサインをせがまれ、記念写真にも応じ、非常にリラックスした様子だった。ただ、報道陣がカメラを向けると、逃げるように足早にそこを過ぎ去ろうとする。席についてからも、顔をうつむき、明らかにメディアを避けようとしていた。もし、アノ時、「予定通り」劉翔が金メダルを手にしていたら、いつものように、くったくない笑顔を堂々とカメラの前で見せていたのだろう。スポーツの結果というのは、本当に残酷だ。
中国の英雄、劉翔の棄権はいうまでもなく、今大会最大の“事件”であり、中国全土の人たちに大きなショックを与えた。“事件”直後、ネット上の書き込みなどを中心に、「脱走兵」「国民の恥」など過激な意見が登場していたのも事実だ。
ただ、日本の報道を見ると、これについて、“自由な”ネット社会での意見が国民の大多数であり、リアル社会では国家の情報統制により、国民は沈黙している・・・という見方があるようだが、実際はそうともいえない。
私はその後、事あるごとに、中国人の若い人、年配の人、男女を問わず、この「劉翔事件」について問いかけてきた。そして、その数が何人かに達した時点で、それをやめてしまった。それは、ほぼ全ての意見が「確かにショックだし、残念だが、ケガならば仕方がない」という“許容”。そして「他に大勢の“英雄”が生まれた。劉翔だけが英雄ではない」という“無関心”だったからだ。
今大会、中国からは51人の金メダリスト、100人のメダリストが生まれている。劉翔が国民的英雄であることは間違いないし、その“戦わざる敗戦”は人々に大きなショックを与えたのは事実だ。だが、考えてみれば、それでもって、劉翔という一アスリート個人の「国民的批判」がなされることが、そしてそれが国民の大多数の意見となることが考えられるだろうか。
日本で、大会直前に、野口みずきが出場回避を決定したが、彼女個人に国民の批判は集まっているだろうか。むしろ、「次の手」を受けなかった陸連や指導者らの責任が大きく取りざたされているだろう。そして、野口みずきについては、「早くケガを直して、次に向けて頑張ってほしい」という気持ちが沸くのが自然ではないか。中国の人たちも、そんな「当たり前の感情」で“劉翔事件”に接していると思う。
たしかに、私がこれまで中国メディアに接していた経験からすれば、「劉翔問題について報道しないよう」という統制を国家が行っている可能性は十分ある。(ある国営メディアの友人は「そのような通達はなく、取り上げる“必要がない”から取り上げないだけ」と語っていたが)
だが、中国の人たちは実は、そんな「情報統制」で何かを見誤るほど単純ではない。国民的英雄の“失敗”を自然な感情を持って受け入れ、そして次には、それを「忘れ去ろう」としているのだ。
ヒーローは次々に生まれているのだから。
posted by 朝倉浩之 |08:54 |
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2008年08月27日
北京五輪期間中、北京市内では様々な生活上の制限が加えられ、市民に多く不便があった。市民の誰もが感じた不便といえば、なんと言っても地下鉄の持ち物検査だろう。空港並みのチェック体制が全ての地下鉄駅で敷かれ、乗客全員がX線検査を受けさせられて、場合によっては、カバンを全て開封される。出退勤の時間帯は長い列ができ、普段より15分早く家を出ないと間に合わなくなる。
また一部の店舗などが閉鎖されたことも市民生活に影響した。このブログでも取り上げたが、ある地下鉄駅のショッピングモールは全ての店が9月末まで閉鎖となり、構内は昼間でも真っ暗。五輪期間中の外の華やかさとは裏腹に、火の消えたような様子が続いている。また、これまで地方から果物や野菜をトラックに乗せて売りにくる人や路上で新聞を売る人などが多くいたのだが、五輪を前に、それらの人々が一層され、町は「きれいに」なった。だが、買い物が不便になったのはいうまでもない。
その件に関連するが、7月20日から北京市内には、地方からのトラック乗り入れが厳しく制限されるようになった。これによって生活の糧を奪われた人もいる。
北京郊外にある果物の一大産地、大興区のある農民、劉さんは毎日、トラックに乗せて、スイカや桃を市内の市場で販売していた。ところが、この制限により、市内に入れなくなり、やむなく劉さんは、自転車で毎日10キロ走り、少し離れた小さな町に持ち込んで、販売を続け、生活の糧を稼いでいる。だが60過ぎの劉さんにとって、毎日往復20キロの自転車“通勤”は過酷だ。「それも限界」と語る劉さん。畑にいくと、地面に落ちて腐った梨と桃が数多くある。「これも一時のこと。やむをえない」と苦笑いする劉さんだが、制限だけが飛び出してきて、生活の保障が一切されないのでは、たまったものではない。
またホワイトカラー層にも影響が出ている。ある市場調査会社に務めるOL,郭さんは「7月、8月は全く仕事にならなかった」と嘆く。同社では、商品やサービスについて、街頭でのアンケートや消費者への直接聞き取りなどを行って、報告書をまとめ、顧客に販売する仕事をしているのだが、これらの「市場調査」が一切禁止されたという。街頭アンケートはともかく、その他の調査も全て禁止というのは、理由が分かりにくいが、いずれにしても、“商品”がなければ、売りようがない。「オリンピック中は暇だったから、競技をたっぷり楽しめたわ」と皮肉交じりに語る郭さんだが、中国では給料は安い固定給に、仕事の歩合制という仕組みがほとんど。仕事がなければ、収入も減るわけだから、暇は決してうれしいことではない。
また市内の引越し作業など、運送を伴うことをやりにくいのも面倒だ。ある日系運送会社の日本人総経理に聞くと、6月はじめに、各社の責任者が当局に呼ばれ、7月から9月は引越しなどを引き受けないよう、通達を受けたそうだ。排気ガス汚染を防ぐために、大型トラックの移動が禁止されたことと、そもそも地方出身の労働者が地元に返されたため、働き手がいなくなったという物理的要因もある。これによって、各日本企業なども、転任・赴任のタイミングをずらすなど対応に追われた。実際には、制限のない夜間に引越しするなど、それなりに方法はあるのだが、いずれにしても、面倒であることは間違いない。
北京五輪がもたらす様々な不便は挙げだしたらキリがない。自家用車の通行制限やオリンピック専用道路の設置なども、市民の移動には不便がある。
元々、降って沸いたようにお上の制限事項が突然やってくるお国柄ではあるが、いつもなら、「上に政策あれば、下に対策あり」で、色々とやり繰りして、切り抜けていくのが庶民のやり方なのだが、今回ばかりは「オリンピックのため」という大きな目標のために、忍耐強く我慢している市民が多いようだ。
華やかなオリンピックの影には、その町に住む人々の多大な犠牲があることを知っておいてほしい。
posted by 朝倉浩之 |08:03 |
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2008年08月26日
先日、友人に付き添って、小包を送りに郵便局に行った。北京生活を続ける彼は、まもなく地方にある実家に戻ることになっており、身の回りの品物を郵便小包で向こうに送ろうというのだ。
送りたい品物を郵便局の窓口に持ち込んで驚いた。局員が、中の品物を一つ一つ丹念にチェックしているのだ。衣類は一枚ずつ広げて、書籍はパラパラとめくって、小物も丁寧に見て、一つ一つ、小包用のダンボールにつめ直していく。
そしてその中から、彼が愛用のアイロン、CDやDVD、ガラス製の小物は「NG」をくらってしまった。つまり「送ることはできない」というのだ。
6月1日から北京五輪の期間中、国内、国外を問わず、郵便小包によって送ることができるものは厳しい制限を受けており、多くの品目が「送付不可能」となっている。危険物や電池など日本でも海外郵送ができないものはもちろんだが、その範囲は驚くほど広い。その場で職員に尋ねると、具体的には
電化製品、注射器など医療器具、ガラス製品、香水や目薬などの液体
などは一律、送付禁止。
またCDやDVDについては、国際的に非難されている版権保護の問題もあってか、「購入時の領収書、もしくは職場などの証明」などがないと、一切受け付けられないという。以前購入したDVDの領収書など残っているわけはなく、さりとて、“たかが”DVDのために職場に「証明してほしい」というのも何なので、実質的にはこれも「送付不可能」である。
また面白いところでは、「ウイスキー入りのチョコレート」も送ることができない。“液体が入っているから”という理由なのだが、チョコレートなど食品に関しては、何らかの液体が混じっていないかどうか、かなり綿密にチェックされる。そして「正体不明」の品については、用途などを明らかにするよう求められるという。
この郵便小包の送付制限については、パラリンピック後も続き、10月末まで予定されているそうだ。
運送の危険を避けるなど、「テロ防止」のための措置ではあるのだが、かなり不便であることは間違いない。安全のためには仕方がない、と理解を示す市民が多いが、ほとんど具体的な広報もなく、郵便局で突然、「ダメだし」を食らうのは、なかなか面倒なことではある。
オリンピック期間中、北京市民は、こういった様々な生活や仕事上の不便を強いられている。(続く)
posted by asa8043 |07:29 |
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2008年08月25日
「日本の記者は凶暴だ!(中国語で「凶」)」
ある競技場で、メディア担当の大学生ボランティアが私に漏らした言葉だ。
穏やかでないことをいうので、事の真相を聞くとこうだ。
記者席に座っている某日本の新聞記者に試合の資料を配ろうとしたところ、その記者にシッシという手振りをされた上に、英語で「×××」という“文字にはできない”罵りの言葉を浴びせかけられたというのだ。恐らく、その記者も、試合中に周りをうろうろされて、いらだっていたのだろう。その記者はサングラスをつけてかなり強面の形相で、「ボランティアの態度が悪い」と同業の記者たちに大声で叫んだり、資料を配るタイミングが遅いとクレームをつけたりし、ボランティアたちに“恐れられて”いた。
僕は「記者は忙しい仕事。連日の取材で、彼らもいらだっているんだよ」となだめたものの、同時に、その記者の人間性を疑わざるを得なかった。
北京五輪の会場で、日本人記者の評判がよろしくない。そう言うと「そんなこと報道されていない」と思うかもしれないが、報道する本人たちの評判だから、それは当然のことだ。他にも、試合が終わってスタジアムを出るよう何度もアナウンスが聞こえているのに席を立とうとしなかったり、大学生ボランティアをまるで手下のようにアゴで使うような態度を見せたりと、ボランティアたちの口から次々と愚痴が出てくる。
また私が直接目にしたところでいうと、試合が終わった後の記者席が最も散らかっていたのは、日本人の記者が集団で座っていたエリアだった。飲みかけのペットボトル飲料や必要のなかった資料などが散在し、散々な状況だった。
記者たちからすれば、忙しい仕事が終わって、ゴミを拾って帰るなんて“暇”なことはできない、ということなのだろうが、その程度のことは社会人として当然の礼儀ではないか。それをあとで掃除するのは、金銭的な見返りも求めずに大会運営に身をささげるボランティアたちなのだ。記者たちに素晴らしい環境を提供するために働いている彼らだが、それは別に記者たちのアシスタントや部下として下働きをするためではない。記者は「サービスを受けて当然」という立場ではないのだが、残念ながら、国際大会の華やかな舞台で、彼らの目は曇ってしまっているようだ。
もちろん、中にはボランティアや会場スタッフに丁寧に接し、素晴らしい印象を残していった日本人記者もいる。だが、少数の記者の行動によって、「日本人記者は怖い」「態度が悪い」というイメージが若い彼らの中に根付いてしまったのは、同じ日本人の取材者として残念で仕方がない。
ちなみに、冒頭の記者は日本の大手新聞社の特派員。その新聞社は、今回の北京五輪の報道方針について、「中国がオリンピックを開く資格があるかどうかを検証する」ことに置いているという。
うがった見方をすれば、敢えて“理不尽な”行動を取って、ボランティアの対応や大会運営の様子を試そうとした、なんて可能性も考えられるが、そうだとすれば、とんだ勘違い行動だ。
そして、その“北京五輪を検証”しにきた記者さんに言いたい。「あなたもまたスタッフから“検証”されているんですよ」と。
中国人のマナー向上を呼びかけるのもいいが、自らのマナー向上も大切ではないか。自戒を込めて、問いかけたい。
posted by 朝倉浩之 |00:10 |
スポーツコラム |
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2008年08月24日
北京五輪閉幕まで、あと1時間ちょっととなった。私自身は期間中、様々な活動を通じて、北京五輪にかかわり、また取材を続けてきた。2週間にわたる大会期間中の出来事について、振り返ってみたい。
あえて1回目に取り上げたいのは、観客のマナーの問題だ。これは、大会開始前から様々な場面で強調されてきた。マナーといっても色々あり、よく話題になるのは生活上のマナー。街中でタンを吐き捨てたり、ごみをポイ捨てしたり、くわえタバコをしながら歩く、という行為が何の罪悪感もなしに行われている様子は、国際社会から批判を浴びてきた。
ただここで取り上げるのは、競技場内で観戦する観客のマナー問題である。私の知る限り、「加油!(がんばれ)中国」の大声援、黄色のTシャツを着た「応援軍団」などが大きく報道され、“やりすぎではないか”“自国に偏りすぎ”“他国の邪魔をするような声援は疑問”などの意見が多く出ているようだ。
「がんばれ!中国」の大声援は確かに他国の選手たちに大きな脅威を与える。それでもって、パフォーマンスに影響を全く与えないかといえば、多くの選手たちは「関係ない」と答えるが、それは表向き。内心では、“やりにくい”のは確かだ。
ただ、この大声援を、それだけでもって、マナー問題に含めるのはどうだろう。私はむしろ、この大声援に、北京五輪を待ち望んでいた市民の期待感や喜びの気持ちを感じるし、精一杯、地元選手を応援しようという彼らの気持ちは全く自然のものだと考える。私も会場にいると、その大声援に「勘弁して欲しいなあ」と苦笑することも多いが、一方で、「たっぷり声援を送って、スタジアムでゲームを楽しむ感動を味わって欲しい」と思っている。
“アウェイ”の選手たちは、その声援に打ち勝つ精神的強さが必要なのは言うまでもないし、また“ホーム”の選手にしても、場合によっては、この声援が逆に大きな重荷になって、成績を崩してしまった選手がいる。それもまたオリンピックだ。この大声援そのものの功罪を論議するのは、少し議論がずれている。
ただ、その大声援もタイミングが大切だ。特に、静寂が要求されるテニスなどのスポーツでは、声援のタイミングが選手のパフォーマンスにも影響することは周知の通りだ。
ここ数年、特に世界的に注目されている女子テニスの中国第一人者、李娜の準決勝での行為が大きな問題となっている。
事件は第2セット、5-4で李娜リードで迎えた第10ゲームにおきた。サービスを打とうとする李娜だが、トスを上げた瞬間に、声援がかかり、どうも打ちにくそうにする。そのポイントは李娜がとり、会場内は大声援に包まれるが、そのあと、カメラがアップで捕らえた李娜は観客に対して、英語で「シャラップ(黙れ)」と言っている様な口の動きを見せたのだ。
その後、敗れて決勝進出ならなかった李娜は「プレイが思い通りにならなかったためにイライラしていた」とその理由を説明した。だが、この「黙れ」事件は大きな波紋を呼ぶ。特にネット上では議論が展開され、「やはり会場がうるさすぎた」「声援はやりすぎだった」とする擁護派と、「自分の力がないことを観客のせいにするな」「歓声の中でもきちんとプレイするのが一流選手」などという反対派に分かれて、大きな論争となっている。
ただ、この試合にも伏線があった。試合開始当初から、携帯電話の音が鳴り響いたり、赤ん坊が泣き叫んだりという明らかな「マナー違反」もあった。そして、相変わらずの「加油!中国」コールがサーブの直前まで続き、主審が何度も「静かに!」とマイクを通じて、会場に呼びかけることも度々だった。だが、それでも、最後まで、ほとんど改善されなかった。
李娜とすれば、もちろん、思い通りのプレイができないことへのイライラや不満がたまっていたこともあるだろうが、海上の声援がプレイへの集中を妨げ、全く「声援になっておらず」、鬱憤がたまってきていたことは、十分理解できる。
「自国の応援に対し、黙れとは何事か!」という意見も多くあったが、それは「良き応援」が行われてこそのもの。プレイヤーの邪魔をしておいて、「自国の応援」もあったものではない。
このテニスにおけるマナー問題は、以前行われた五輪テスト大会でも、同様の現象が見られ、このブログでも指摘してきた。北京五輪に向けて、「観戦指南書」なるものも発行され、観戦客に“テニスの正しい見方”を呼びかけてきたが、結局、本番でもその問題は解決せず、自国のエースのプレーに影響を与えてしまったというわけだ。
ただ、以前も書いたが、この現象が全ての競技にあてはまるというわけではない。
私は卓球、バドミントンなど、中国勢が非常に強い種目の競技場に足を運び、ここで怒号のような「加油(ジアヨウ)」コールを何度も体験してきた。だが、そこでの歓声のタイミングは見事というほかない。
ここぞというところで会場中が静寂に包まれ、選手の素晴らしいパフォーマンスが出た瞬間にものすごい歓声が会場を包む・・・私はこれらの会場で、「静と動」を見事に使い分けた「応援の成熟」を感じた。観客の皆さんが本当に競技を良く知っているなあという実感だ。もちろん、中には、それを“外す”人もいないわけではないが、それもまた、観客の見事な声援が帳消しにしてしまう。
テニスは中国でまだ新しいスポーツだ。近年、急速に力をつけてきているが、決して一般市民の間で浸透しているスポーツとはいえない。
結局は、その競技がどれだけ観客の間に浸透しているかというのかが、「声援のうまさ」にもつながっているのだろう。だから、テニスと卓球では観客の成熟度も全く異なる。もちろん、その意味での「マナー」を向上させていく努力は必要だし、北京五輪を通じて、多くのマイナースポーツが市民の間に浸透していってほしいと思う。
ただ、単に「加油」の声援が大きいことをマナー違反に結びつけるのは、いかにも短絡的だ。本当の「マナー違反」とは、そんなレベルのものではないと思う。
posted by asa8043 |19:52 |
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2008年08月19日
国民的ヒーローの途中退場は、オリンピックムードに沸く中国の人たちを震撼させた。
18日、国家体育場(愛称:鳥の巣)で行われた陸上男子110m障害の1回戦。「加油!(がんばれ)中国」の大合唱の中で、スタート位置についた劉翔(中国)は、スタートの直後、第1ハードルの前で立ち止まり、その後、ナンバーカードを外して、大観衆の見守るコースを去っていった。
私はこの日、別の取材で、ある競技会場にいた。そこの運営スタッフを取材すべく、ちょうどお昼時だったため、彼らの胃袋を満たすスタッフ食堂で食事を頂いていた。劉翔が登場した瞬間、500人ほどが入る大食堂の全てが箸を止め、2箇所に設けられた大型モニターに見入っていた彼らは大歓声を上げ、国民的ヒーローを迎えた。そして、彼がフライングのあと、再びスタート位置に戻ることなく、控え室に帰っていった瞬間、何が何だか分からないというおかしな空気が漂った。「どよめき」と「ため息」が入り混じり、にわかにはその現実を受け入れられない彼らは、それまでの歓声がうそのようにシーンと静まり返り、ヒーローの様子を見守った。この「おかしな空気」は私にとっても一生忘れられない一シーンとなるだろう。この空気こそ、中国全土の人々がこの現実を目にしたときの気持ちを代表するものに違いない。
私は3年前、この一人の天才アスリートの走りを生で目にし、その肉声を取材したときから、彼は必ず北京五輪で優勝すると確信していた。別に専門的な根拠があるわけではない。ただ、彼は不世出の天才ハードラーであり、根っからの英雄だと私に思わせる何かを持っている男だった。だから、若くて強力なライバル、デイロン・ロブレス(キューバ)が登場しても、今年6月1日のニューヨーク陸上で退場し、右足の古傷悪化が伝えられても、また選手村入りした直後に病院で検査を受けたというニュースが入ったときも、私はそれらが全て、「天才・劉翔の物語」を完結させるためのサイドネタに過ぎないと思っていた。天才が最高の結果を迎えるときには、えてして、そんな逆境がつきものだし、それがあるからこそ、劉翔はヒーローなのだ・・・という妙な確信を持っていた。
だから、昨日の出来事は私にもにわかに受け入れることができないものだった。
ケガは「古傷」・・・アキレス腱疲労
この日、第6組2コースでウォーミングアップをしている劉翔は、いつもの自信に満ちた表情とは程遠く、眉間にしわを寄せながら、右足をしきりに気にしていた。そして号砲と共にスタートを切ったものの、他選手のフライングにより、レースはやりなおし。だが、劉翔は苦悶に満ちた表情で、太ももの「第2コース」を意味するナンバーカードを剥がし、一人向きを変え、選手控え室に通じる通路に引き返していった。
その後、劉翔は記者陣の前に現れることがなかったようだが、専属コーチの孫海平氏が記者会見に応じ、涙ながらに、その苦悶の選択の真相を語った。各メディアが報道する内容によると、劉翔のケガが悪化したのは、先週土曜日、練習中のことだったそうだ。孫氏によると、アキレス腱の傷はかなり前からのものであり、「古傷」であったようだ。
専門家によると、おそらく、これはアキレス腱の疲労がもたらしたものであり、頻繁に高い強度の練習とレースを繰り返し、その後、疲労回復しないままにトレーニングを続けたことが原因ではないかということ。その最悪の結果がよりによって、あの13億が見守る鳥の巣での本番中に現れてしまったというわけだ。
不世出のヒーロー、ケガと戦いながらの4年間
才能に溢れた若き劉翔が初めて世界の表舞台に登場したのは、2003年の世界選手権で3位に入ったときだろう。欧米、アフリカ勢が圧倒的優位を占める短距離界において、彼の潜在力は誰もが認める突出したものだった。
そして、アテネ五輪では12秒91を出し、アジア勢として初めて優勝。中国陸上、いやアジア陸上にとって、大きな一ページとなる出来事だった。
そして、祖国でのオリンピックを4年後に控え、そこで金メダルをとるという最大の目標のために厳しいトレーニングが始まった。だが、同時に、その直後から、彼の足は、あの「悲劇」に向けて、少しずつ負担を重ねていたのだ。
今から思えば、2005年夏、劉翔が全国陸上グランプリという国内大会に出場したときから、この悲劇の序幕が開いたといえよう。この大会で、劉翔は所属する上海代表の4×100mリレーのアンカーとして出場した。だが、得意のハードルと技術的に大きな違いがあるからか、レースの翌日、左足の腿がパンパンに膨れ上がったという。検査の結果は大事は至らないということだったが、このことが劉翔の足に大きな負担をかけていった可能性はある。
またこのころ、劉翔は右足に頻繁に出来る水ぶくれに悩まされた。その水ぶくれが破裂したあと、その部分がスニーカーとの摩擦で「たこ」になり、それが足の肌肉の中に入り込んで、常に違和感があったそうだ。ただ、それ自体は特に痛みがなく、トレーニングに支障をきたさなかったため、それほど大きな問題にはならなかった。
劉翔のケガで最も大きなものは、2006年初頭のことだろう。冬合宿の成果を試すため、全国室内陸上の上海大会に出場する予定だった劉翔だが、開幕3日前に、練習後、階段を踏み外して、左足を損傷してしまった。
その後、無事に復帰した劉翔だが、靴との相性からくる水ぶくれは続き、1週間ほど、練習がストップすることもあった。だが、ご存知のように仏ローザンヌの国際陸上で当時世界新記録となる12秒88の好タイムを出すなど、対外的には、北京五輪に向け、順調な調整ぶりを見せているように見えた。
そして2008年6月1日、ニューヨークグランプリ陸上に出場した劉翔だが、レース開始直前、太ももに違和感を覚え、棄権。当時、コーチの話によると、太ももの筋肉疲労ということだったが、すでにこのころから、劉翔の足は限界にきていたのだろう。
すでにこの鳥の巣に入ったときから、劉翔は走れる状態になかった。だが、それでも3人の医師を現場に置き、最後まで諦めなかった。劉翔は試合前、痛みを麻痺させようと、右足で壁を強く蹴りつける凄まじい姿が見られた。そこまでして、レーンに立とうとしたのだ。
スポンサーも対応に追われる・・・各界の反応は?
劉翔はアスリートとして一流であるだけでなく、「広告王」としても知られている。各企業がこぞって彼をCMやイメージキャラクターに起用しており、そのギャラは3億円をゆうに超えているといわれている。
しかも、その企業はそうそうたるメンバーで、スポーツ用品メーカーのナイキ、VISA、コカコーラなど国際企業をはじめ、国内ではレノボ、中国郵政EMS,中国移動通信など、15社以上。2004年のアテネ五輪後、ナイキと30万元(450万円)でCM契約を結んで以降、その数は爆発的に増え、町を歩いていれば、必ず彼の写真がデカデカとのったポスターや看板に出会う。
そして、彼らは一様に、北京五輪で劉翔が金メダルを獲得し、その「先行投資」が莫大な商品価値に成長することを見込んでのことだった。ライバルはいるものの、世界ナンバーワンの力をもつ劉翔はある意味「リスクの少ない」投資対象だったといえる。
特に劉翔が最初にオリンピックの舞台に姿を見せる8月18日以降は、その広告価値が最大になるときであり、各社ともテレビ、新聞、看板など大量の広告を出す予定にしていた。
この緊急事態に対し、一番早く手を打ったのは、ナイキだった。新聞「財経」によると、全国各地にある看板の内容を19日から、変更するとしている。ただ、変更後も主役は劉翔であることには変わりなく、ただテーマについて、若干の変更を加えるのみ、と説明している。
ただ困惑している企業もあるようだ。新聞「財経」によると、あるスポンサーは「金メダルを取ったときと取らなかったときのそれぞれの対応策については考えていた。だが、まさか棄権するとは・・・」と絶句しているという。このスポンサーは、2006年2月に3年契約で劉翔を起用。翌年11月からは、同社の社長と劉翔を並べた広告を打ち、話題となった。
いずれも今のところ、劉翔を契約を打ち切るなどの措置は表明しておらず、今後も、契約関係を続けていく方針を示している。これからの世論の動向や本人のケガの様子を見た上でということになるだろう。いずれにしても、全ての目論見が外れた各企業にとっては大きな痛手となることは間違いない。
また、ある専門家の分析によると、北京五輪で金メダルを取るか、取らないかは、10億元(150億円)以上のギャラの違いにつながるということだ。
これも、今後の「ストーリー次第」だが、いずれにしても「CM王」の座を続々と生まれている五輪ヒーローたちに明け渡す日が来るのは間違いないかもしれない。
ただ世論の動向は非常に同情的という感じがする。
日本の各報道や記者のコメントを見ていると、国内で非難の声が殺到しているとのイメージがあるかもしれないが、私の印象は異なる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080818-00000035-yom-int
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2008081800832
もちろん、祖国の英雄が金メダルを逃したことへの失望は大きいが、むしろ、彼のこれまでの功労を称え、また、不幸な結果に同情する声が大きいような気がする。上記にリンクさせていただいた新聞記事や、取材記者のブログ等がソースにしているネット掲示板での反応に関しても、実際に覗いてみると、決してこういう声が圧倒的多数というわけではないことが分かる。
もちろん、一部に過激な意見があるのは確かだし、大きなショックを受けたのは間違いないが、大多数は、マラソンの野口や土佐の棄権がもたらした日本での反応とそれほど変わらず、ある程度、冷静な受け止め方をし、むしろ同情を寄せる声が大きいのではないか。もちろん、劉翔目当てに高騰していた入場券を買い求めた人にとっては、たまったものではないかもしれないが・・・。
劉翔「もう一度復帰を」
彼は試合後、記者の取材を受けなかったが、ある記者がコーチを通じて、その肉声を伝えている記事を見つけた。劉翔は「すごくつらい。全国の人民の期待を裏切ってしまった。」と語ったという。
そのコーチによると、劉翔はアテネ五輪後の4年間、ほとんどプライベートで外出することなく、練習がないときは、一人部屋の中で、ネットをする毎日だったそうだ。華やかなヒーローの生活は「孤独」との戦いだったことが伺える。
劉翔は試合後、「多くの人たちの声援に感謝したい。ケガを出来るだけ早く直して、もう一度、帰ってくる」と語ったそうだ。
年齢的に今がピークであり、若いライバルが台頭していることからすると、「次」は非常に厳しいかもしれない。だが、これもまた「劉翔ストーリー」の一部だとすれば、もしかしたら、本当に「次」があるのかもしれない。一部では引退して、芸能界入りなどという話も噂されていたが、今後の劉翔がどうなるのか・・・引き続き、注目していきたい。
posted by 朝倉浩之 |10:42 |
陸上 |
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2008年08月12日
8日行われた北京五輪の開会式の様子を収録したDVDが11日、発売された。定価は50元(750円)で、全国の書店などに置かれるということだ。スポーツ新聞「競報」が伝えた。
記事によると、DVDの発売予告は10日に出された。だが、すでに各書店には予約がきており、また昨日はかなりの電話問い合わせがあったそうだ。また一部のネットショップでは、開会式が行われる前から、予約をスタートさせ、市民らの話題となっていた。
今後、閉幕式、聖火リレーの様子などもDVD化され、続々と発売される予定だ。
posted by asa8043 |11:07 |
北京五輪 |
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2008年08月12日
その瞬間、会場内は「にわかには信じられない」というどよめきと歓声、そしてため息に包まれた。
11日、中国が最も自信を持っている種目の一つ、女子バドミントンのダブルスの準々決勝が行われた。第1シードで、アテネ五輪の覇者、楊維・張潔ウェン組(中国)と対戦した前田・末綱組(日本)は、第1セットを8-21で失ったあと、第2セット(23-21)、第2セット(21-14)と連取して、逆転勝ち。“大番狂わせ”を演じた。
試合後、中国メディアに対し、前田美順は「この試合は、私のバドミントン人生で最も大切なものになる」と笑顔で語り、末綱聡子は「まさか中国に勝てるとは思えなかった。マッチポイントになっても、まだ自信がなかった」と述べた。
一方の楊維・張潔ウェン組は目に涙を浮かべながら会場を去った。ある記者が「2連覇を目指したオリンピックでまさかここで負けるとは思わなかったのでは?」と問いかけるという質問には無言だった。
この「大番狂わせ」は衝撃を持って受け止められている。一夜明けた12日の新聞各紙は、いずれも、喜びのあまりコートに倒れこむ前田・末綱組と、その前で呆然と立ち尽くす中国ペアの写真を大きく掲載した。そして「第1シード、連覇ならず」「今大会最大の大番狂わせ」と見出し入りで報じた。
CCTV五輪チャンネルの早朝のスポーツ番組「早安(おはよう)オリンピック」でも、アナウンサーが沈痛な表情で、この敗戦を伝え、「中国ペアの状態はまずまずだった。だが、日本ペアの粘り強さは素晴らしかった。一筋縄ではいかない相手だった」と日本ペアを称えた。
posted by asa8043 |10:46 |
バドミントン |
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2008年08月12日
北京南側の豊台スタジアムで行われる女子ソフトボールは世界最強の8チーム(中国、日本、中華台北、アメリカ、ベネズエラ、カナダ、オランダ、オーストラリア)が参加して、12日、開幕する。
総合力ではアメリカが一歩リードしているが、打線に課題がありつつ、世界最速ピッチャーの上野を擁する日本が悲願の金メダルを目指し、それを開催国の中国、オーストラリアが追いかける。
日本は今日行われる初戦のオーストラリア戦が大きなポイントとなるだろう。幸い、暑い日中を避けられ、夜の試合となったことは、投手を中心とした守りに重きを置く日本としては追い風となる。
第1戦は9:30にプレイボール。中華台北vsカナダから幕を開ける。
さて、選手もさることながら、会場運営もいよいよ本番を迎えることから、昨日は大いに緊張感のみなぎる雰囲気となった。
観客席の椅子は、清掃の係員が一つ一つフキンで丁寧に磨き、観客の来場に備えた。また場内整備のボランティアたちは、外野スタンドのあたりからホームベース方向に向かって、目視でゴミや石などが落ちていないかどうかを確認して回る。撮影記者が使用する木製の重いベンチが大量にネット際に置かれるのだが、若いボランティアが額に汗をにじませながら、両手に抱えて、運び込んでいた。
かなり以前から、本格的な準備が始まって以来、だんだんと作業は細かくなってきている。いずれのスタッフも何だか落ち着かない表情だ。
試合を終えた選手を取材するミックスゾーンの担当スタッフが、スタジアムの外にいた。彼らは、何本かのポールを立て、その間にロープをはって、選手と記者を隔てる“ついたて”を作る練習をしていた。試合終了の瞬間に彼らの仕事は始まる。指定の場所にポールを等間隔に並べ、そこにロープを張り、選手たちの誘導ラインを作る。この作業は早く終えないと、記者たちの不満を買う。何度もシミュレーションを繰り返し、50秒以内にミックスゾーンが作れるようになった。
だが、それでも心配だと、グランドの外に出て、何度も練習をしているのだ。責任者のスタッフに「いよいよ明日ですね」と聞くと、彼は「そうですね。まだまだ不安で」と答えた。これだけ長い時間、準備を続けてきても、彼らにとって、オリンピックという舞台は初めて。今が一番、緊張の時間なのだろう。記者たちにとってみれば、当たり前のものがそこにあるだけ、かもしれない。だが、そんな「小さなこと」を“当たり前”にするために、何度も何度も練習をする。裏方ならば当然のことなのかもしれないが、それがこの五輪を支えているのだと改めて実感する。
夜になると、記者会見で司会を担当するスタッフが私に話しかけてきた。日本人選手の名前の読み方を教えてくれ、というのだ。記者会見では、まず出席した選手と監督の名前を紹介しなければならない。彼女がこだわったのはアクセントだ。エースの「うえの」は平たく読むのか、それとも「う」を高く読むのか・・・。また姓と名はどちらを先に呼んだほうがいいか・・・私は「英語では名・姓で呼ぶが、我々は中国と同じく、姓・名の順に呼ぶ。国際慣例は知らないが、日本人の立場からいえば、できれば姓・名で読んでほしい」と伝えた。
夜も更け、静かな住宅街のスタジアム周辺は人も歩いていない。だが、スタッフたちの
準備は続く。
大丈夫・・・自信を持って臨もう!「準備好了(準備オーケー)」あとはプレイボールを待つだけ・・・いよいよプレイボールだ。
posted by asa8043 |10:43 |
ソフトボール |
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2008年08月11日
前半戦が始まったばかりの北京五輪で、今最大の話題といえば、10日、男子400m自由形で銀メダルを取った張琳だろう。3分42秒44で2位に入り、中国男子初の競泳のメダルを獲得、大いに沸いた。前日の予選で中国記録を破っていたから、メダルの期待は高まっていたが、欧米勢が圧倒的な強さを誇る自由形でこれだけの成績を挙げるのは決して簡単ではない。ちなみに、これまでの男子中国勢の最高成績はアトランタ五輪での4位。
張琳は北京市出身の21歳(189センチ、77キロ)。2007年の世界選手権では3分49秒台だったタイムがわずか1年で一気に縮まったのだから、その成長ぶりは驚異的といっていいだろう。
彼の選手生活を大きく変えたのは2007年11月からのオーストラリア留学だった。ここで8週間にわたる厳しい訓練を受けた張琳は、帰国後の第1戦となった2月の競泳オープン(北京・国家水泳センター)で中国記録を樹立。4月には国内大会で、自らの記録をまた更新し、一気にメダル候補にのし上がってきた。その後、7月までオーストラリアで再度、調整をし、臨んだ今大会。
本人が振り返るように「優れたライバルと海外体験」がもたらした殊勲の“銀”となった。
張琳のコメント
「銀メダルを取れて幸せ。一番うれしいのは世界のトップ選手と競えたこと。これで自身の力が格段にアップした。この銀メダルは私だけのものではない。オーストラリアで指針を与えてくれたコーチの力も大きいし、中国の陳映紅コーチも一生懸命に支えてくださった。これはチームの勝利だ。」
posted by asa8043 |12:44 |
水泳 |
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2008年08月11日
中国の「お家芸」飛び込みでは、郭晶晶・呉敏霞組が3m飛び板飛び込みで優勝。飛び込み王国の最初のメダルを飾った。
郭晶晶といえば、今年5月のW杯でライバル選手を「おデブちゃん」と言ったり、記者会見で不遜な態度を見せるなど物議をかもした。その後、「熱愛メール騒動」「妊娠騒動」などスキャンダルがメディアの格好の材料となり、オリンピック前は競技以外の面で何かと「お騒がせ」のアスリートとなった。
表彰式のとき、呉敏霞は喜びが隠せないといった感じの満面の笑みで、会場の大声援にこたえた。一方の彼女より4歳年上のベテラン、郭晶晶は満員の観客に手を振って答えた後、落ち着いて服を整理し、手にした金メダルの紐を整えていた。「金メダルは取って当然」ということではないだろう。大きなプレッシャーの中で戦ったあとの彼女にとって、金メダルは「うれしい」というより「ほっとした」のだと思う。そして、チームを引っ張るベテランとして、あえて冷静に振舞ったのだろう。
試合後の記者会見は、3ヶ月前に物議をかもしたアノ記者会見場で行われた。そのとき、彼女はベテラン記者の質問に馬鹿にしたような態度をとり、始終、手首のミサンガをいじっていた。
昨日もまた、そのミサンガをつけていたが、彼女の受け答えに、かつてのような不遜な態度はなかった。そして、全ての答えのあとに「謝謝」をつけるのを忘れなかった。「とりあえず」いろいろなものから解き放たれ、ほっとした瞬間だからこそ、素直に記者たちの質問にも答えられたのだろう。
だが、あくまで「とりあえず」である。彼女にはまだ15日から予選が始まる個人種目が残っている。大きな重圧を受けながら、数々の困難に負けずに、本番を迎えた「飛び込み女王」。その有終の美を飾り、本物の「女王」となれるかは、次にとるべき金メダルの行方にかかっている。
posted by asa8043 |11:09 |
飛び込み |
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